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風紋記事

2015/06/28

 音楽を聴いて涙したことが2度ある。最初は30年ほど前、アフリカ・ナイジェリア出身のキング・サニー・アデを聴いた時だ。今で言うワールドミュージックが流行り始めた頃で、東京代々木の第一体育館は超満員だった。バンドはギターや鍵盤などのほか、打楽器陣を多数配した編成である▼残業を切り上げ汗をふきふき会場に着くともう演奏が始まっていた。入るなり雷が落ちたような音に腰を抜かした。トーキングドラムである。それは日本の鼓(つづみ)に似た形の楽器で、奏者が肩に担いでバチで叩く。強烈な音圧だが「抜け」がすこぶるよい。音がスコーン、スコーンと立て続けに体を打ち抜いた時、条件反射のように涙が溢れ出た。打楽器の音に泣かされるとは思わなかった▼2度目は9年ほど前、紋別市民会館で行われたフォークコンサートで元「赤い鳥」の山本潤子さんの弾き語りソロを聴いた時である。透明感のある声の素晴らしさはレコードで知っていたが生で聴くと、そこに「くすみ」とか「苦味」のようなものが混じっていた。甘いものに塩をかけると甘みが引き立つのと同じ理屈だろうか。形容矛盾だが、濁っているのに、いやだからこそ透き通っているのである。歌い始めから数十秒で泣かされていた▼メロディや歌詞、演奏テクニックに感動するのはよくあることだが所詮、人知の及ぶ世界の話だ。本当の名人は人知の及ばぬ音一発で相手をうちのめす。そういえば尺八の世界には「一音成仏」という言葉がある。諸説あるが「たった一つの音でも徹すれば、仏の境地に至る」という意味だそうだ。(桑原)