風紋記事
昭和23年に小学校に入学した人たちでつくる二三同期会の解散記念講演会で、会員の元市長・赤井邦男さんの話を聞いた。相変わらずエネルギッシュである▼市長時代、JR東日本の松田昌士会長が講演のため来紋したので会食したという。JRのドンと呼ばれた松田会長はズケズケものを言う人で、紋別の観光について「大したことないな」。赤井さんは「こっちもムッとして言い合いになった」と振り返る。その後、観光の一大イベントDOいなか博をやることになった時、赤井さんは新宿にあるJR東日本本社に松田会長を訪ね、協力を求める。松田会長は快諾した。かつて言い合いしたことで今度は腹を割って話せた▼その時、松田会長は学生時代、網走市の友人宅に泊まったら、夜ものすごい音がするのでとび起きた、と妙なことを話し出した。「あれは観光になるんじゃないか」。流氷同士がぶつかる音のことだった。それがコムケ湖のサケ番屋を復活させ、観光客に厳冬生活を体験をしてもらう企画に発展していった▼講演後、赤井さんと話したら「結局さ、事業というのは人とのつながりなんだよ」。地方創生で自治体の企画力が問われる時代だが、どんな素晴らしい戦略も動かすのは人の情熱なのだろう▼同期会の小川昭一郎会長は「戦後、貧しい少年時代を過ごしてきたのが我々の原点」と言う。飢えてカブトムシの幼虫を焼いて食べたというが、そんな体験はその後の世代にはない。逞しい生き方の原点に触れる思いがした。今73〜74歳だという会員らはまだ若々しい。会は解散するが親睦は続けるという。(桑原)