デスク記事
中学を卒業して、すぐ丁稚奉公(でっちぼうこう)に入ったという。毎日が、調理室の清掃と食器洗い、調理服、タオルなどの洗濯などに明け暮れた。それが3年続いた。ある日主人が「良く辛抱したな。明日から調理室に入ってもらう。私用のみそ汁を作ってくれ。味はまかせる」▼主人は何の批評も言わず、日々ただ黙ってみそ汁を手に取った。与えられた食材は味噌とネギ、豆腐だけ。ご主人がどんな味を好むのか、味噌が多すぎたのか少ないのか、全く分からず、ただ夢中になってみそ汁作りを続けた。2年間▼しかし彼は、いつの間にか日々の味付けを変えながら調理している自分に気づいた。ご主人の歩く姿、調理する姿、顔色、声の質などを観察するうちに、みそ汁作りの手作業は自然に微妙に変化していった。意識することなく、彼の作るみそ汁はご主人の体調に合わせたものになっていた▼「今日から私の代わりをやってくれ。私が助手になるから」と、ある日突然言われた。そしてご主人はこう言った。「今度は、私ではなく、お客様のご様子を見るんだよ」と。そのご主人もすでに他界した。今は年老いた彼が一人で調理台に立っている▼案内されて、その店に入ってみた。家庭の台所のような雰囲気の調理台。しかし、全てが良く磨かれていて、古い中にも気品あふれる佇(たたづ)まいを見せていた。いただいたみそ汁は、何の変哲もない味。しかし、身体にスーッと伝わる優しさがあった▼みそ汁ひとつにも、人の文化が宿っているのを感じた。師弟の長い歳月、そこから生まれた個々の客に合わせた味。そこに料理人の、限りない深さがある。最高の調理とは、表に現れないけれど、身体に自然に馴染む、平凡さにあるような気がした。