風紋記事
ちょっと古いアメリカのコメディ映画「恋はデジャブ」を観た。主人公のテレビレポーターが田舎の祭りの取材にいやいや出かける。仕事を終えホテルで夜を過ごし、朝起きると、前の日と全く同じことが起きる。なんと主人公は永遠に同じ1日を繰り返すようになっていた。自棄になった主人公は、犯罪に手を染めたり、自殺したりするが、何をしようと、朝起きるとまたあの退屈な1日が始まる▼一体この映画は何を言いたいのか。調べてみるとニーチェの永劫回帰説を物語化したのだという。これだからアメリカのエンタテインメントは侮れない▼永劫回帰は、人は生まれ変わっても同じことを永遠に繰り返すという説らしい。考えてみれば人生は同じことの繰り返しだ。毎日同じ時間に起き、同じ仕事をし、同じ時間に寝る▼映画の主人公を襲う永遠の繰り返しは、実は我々の平凡な人生の象徴である。だが平凡の輪廻から脱却する方法は徒に非凡を求めたり、自分探しの旅に出ることではない。今、そこにいる仲間を深く理解したり、今そこにいる異性に恋をしたりすることなのだと映画は言う▼無味乾燥で退屈な現実を肯定した瞬間世界は変わる。主人公が、軽蔑してやまない田舎の「カッペども」の人生は愛おしさに満ちてくる▼これは人生の再生と同時に地方再生の物語でもある。伝統と因習に埋没し、単調な永劫回帰の真っ只中にある地方。負のスパイラルを断ち切るには負を生き切ることしかない。内省することが即、外に向かっての発展的形成であるような逆説的な構造が映画では巧みに描かれているのである。(桑原)