デスク記事
「袖(そで)振り合うも多生(他生とも書く)の縁」という諺がある。
道行く人と袖が触れあうことさえ宿縁によるもの。ちょっとの出来事も、因縁によるものだ・という意味。紋別という、海が凍り、雪の舞うオホーツクの地に、人は、生まれてからどのような経過を辿って住んでいるのだろう。形こそ違え、共通して言えるのは「因縁があった」ということではないだろうか▼紋別に限らず、世界の人々全てにとって、今住んでいる場所が最初から決まっていた訳ではない。いろいろな理由が繋がって、地球上あらゆる場所に、あらゆる人が一回限りの人生を送っている。一定の場所でなくても、一生かかって移り住むことの出来る場所は、地球全域からすれば針の先の点にもならない▼一年一年、何かが起こり、何かが生まれ、失われ、泣いて笑って、時には絶望感に打ちひしがれ、人は時間を過ごしてきた。誰にも公平に与えられているものは「時間」と「死」である。長短の差こそあれ、刻む時間と死は、確実に公平に訪れる▼平成20年という一年、紋別市民全ての人に、人口の数だけ異なった時間の過ごし方、経過があった。それら全てが去ってゆく年と共に運ばれ、また新しい年へと引き継がれる。だからこそ、人は訪れる新年に祈り、良き日の訪れを心待ちにする▼しかし考えてみれば、次の一瞬も、翌日も、新年も、一秒の積み重ねの次≠ノ過ぎない。それでも尚、人は次への変化を求める。だから希望を抱き、生きられるのかも知れない。縁あってこの地に生きる人々、旅人さえも、一緒の地域に居ることは奇跡の結果とも言える。そう思えば、袖が触れあうことの何と素晴らしいことか。郷土とは、そういうものかもしれない。