←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2009/03/06

 上藻別駅逓が昨年10月、国の有形文化財に指定された。このことは報道などで市民間に伝わっているものの、駅逓が持つ歴史的意味、人々の生活との関わり合いなど、それを意識する人はまだ少ない。北海道の開拓の始まりと駅逓との関係、とりわけ上藻別駅逓と鴻之舞金山との関連などは、歴史の彼方から何を語ってくれるのだろうか▼上藻別駅逓がなぜ国の文化財として認められたのか、それは東洋一を誇った鴻之舞金山との関わりが重要な要素を占めている。北海道の開拓が始まってから、駅逓は各地に作られた。その土地土地が持つ特質により、駅逓もまた個性を持つ。そこに人々と地域の生きた歴史と文化があり、現在、未来へと繋がっている。上藻別駅逓は、北海道の歴史を伝える建物として、それら駅逓を代表する建物として文化財に指定されたのだ▼上藻別駅逓は、鴻之舞金山で働いていた人たち、上藻別の住民、協力者などの熱い心があって、保存会の発足となった。修復、管理を続け、市も予算面などでの協力を行う事となり、資料館としての整備も進んでいる▼保存会の人達はひとつの夢を持っている。それは金八トンネルが近く開通し、一般に開放されれば、丸瀬布を経て旭川との最短道路となり、その途中にある上藻別駅逓に多くの人達が立ち寄ってくれる。紋別の活性化はもとより、それ以上にかつて東洋一の金山があり、最盛期には約1万3000人の人々が生活し、独特の文化を持っていた≠ニいう、歴史を知ってもらえる▼すでに旭川教育大の学生が、上藻別で3年間に渡って調査、研究してきた資料が、近く完成する。過ぎ去った時間を追い、それに学び、今に生かし、未来を見つめる。上藻別駅逓は、過去から未来へと大きく羽ばたこうとしている。